サイボーグの眼(人工眼内レンズと暮らす日々)

レーシックじゃなくても後遺症(まだ調節視機能も残っていたにも関わらず白内障手術をしてしまい屈折矯正手術はしないほうが良いと思っている奴の記録です。コンタクトレンズの紹介なんかもあります)mail:hiand4@yahoo.co.jp

見えることそして見ること①

引っ越すことをきめたのとほぼ同時に仕事も探し始めました。

2匹の猫を見送る前は猫と一緒に一日を過ごすことに何の疑問も持たず結構楽しく過ごしていました。

猫たちの存在は、仕事引退後も体調不良で鬱々と過ごしていた自分を元気付けてくれる大切な存在でした。

朝起きてソファに寝転ぶと猫たちが代わるがわるお腹に乗ってきてゴロゴロとのどを鳴らして甘えてくれます。

そんな彼らを撫でそして「吸い」、合間に買い物や掃除庭仕事など、それなりに時間は過ぎました。

そんな猫たちとの満ち足りた時間が終わって、ぽっかり空いた穴、その穴を前にも書いた通り新たな仔を迎えて埋める気にはなれませんでしたが、そのまま自分の気持ちを放っておく気にもなれないでいました。

不良だった体調も少しづつ上向きになっていました。別に特にこれといったことはしていません。右目もそのままです。左目の見え方も変わったわけではありません。

多分慣れただけです。あきらめただけです。きっとただ受け入れただけでしょう。でも、少しずつ変化してきました。

目が覚めてから夜寝るまでただソファに横になっていることに疲れたからかもしれません。

何かをしたい、しなくてはならない。そんな気持ちになってきていました。

だから猫たちを失っても引っ越しを考えることもできたのだと思います。

前向きになれた瞬間でした。「せっかく引っ越すし、しごとを探そう」そう思ったのです。

逆だったかもしれません。

仕事をしたい、だから引っ越す。と考えたのかもしれません。

たった一年前のことですがはっきりしません。

でも「仕事を探そう」そう思ったのは事実です。

そして、引退した自分でもできる仕事はないものかと探したり考えたりしました。内職や文字入力、採点や添削等々。でも決め手はありませんでした。

そんな中ふとしたきっかけから「同行援護」という仕事を知ることになったのです。

同行援護とは視覚に障害のある方をガイドする仕事です。

その仕事を知った瞬間に多分「これにする」ときめていたと思います。

2023年9月頃のことでした。2匹を送ってから3か月が過ぎていました。