見えることそして見ること①
引っ越すことをきめたのとほぼ同時に仕事も探し始めました。
2匹の猫を見送る前は猫と一緒に一日を過ごすことに何の疑問も持たず結構楽しく過ごしていました。
猫たちの存在は、仕事引退後も体調不良で鬱々と過ごしていた自分を元気付けてくれる大切な存在でした。
朝起きてソファに寝転ぶと猫たちが代わるがわるお腹に乗ってきてゴロゴロとのどを鳴らして甘えてくれます。
そんな彼らを撫でそして「吸い」、合間に買い物や掃除庭仕事など、それなりに時間は過ぎました。
そんな猫たちとの満ち足りた時間が終わって、ぽっかり空いた穴、その穴を前にも書いた通り新たな仔を迎えて埋める気にはなれませんでしたが、そのまま自分の気持ちを放っておく気にもなれないでいました。
不良だった体調も少しづつ上向きになっていました。別に特にこれといったことはしていません。右目もそのままです。左目の見え方も変わったわけではありません。
多分慣れただけです。あきらめただけです。きっとただ受け入れただけでしょう。でも、少しずつ変化してきました。
目が覚めてから夜寝るまでただソファに横になっていることに疲れたからかもしれません。
何かをしたい、しなくてはならない。そんな気持ちになってきていました。
だから猫たちを失っても引っ越しを考えることもできたのだと思います。
前向きになれた瞬間でした。「せっかく引っ越すし、しごとを探そう」そう思ったのです。
逆だったかもしれません。
仕事をしたい、だから引っ越す。と考えたのかもしれません。
たった一年前のことですがはっきりしません。
でも「仕事を探そう」そう思ったのは事実です。
そして、引退した自分でもできる仕事はないものかと探したり考えたりしました。内職や文字入力、採点や添削等々。でも決め手はありませんでした。
そんな中ふとしたきっかけから「同行援護」という仕事を知ることになったのです。
同行援護とは視覚に障害のある方をガイドする仕事です。
その仕事を知った瞬間に多分「これにする」ときめていたと思います。
2023年9月頃のことでした。2匹を送ってから3か月が過ぎていました。
そして引っ越し
大磯では、2019年令和元年7月から2022年令和4年11月まで約3年半を過ごしました。令和4年2匹の猫を虹の橋に送ってからは心に穴が開いたようでした。何をしてもつまらなく思い、家の中の全てのものに猫たちの影が重なります。「ここにいたのに」「あそこで寝ていたっけな」思い出だらけです。17年間も一緒に暮らせばそうなるでしょう。
ホントしばらくは落ち込んでばかりいました。
気持ちを紛らわそうと旅行に行ったりもしました。
しかしなかなか前を向く気になれずにいました。仕事をしていればそんなに落ち込んでばかりはいられないはずなのですが仕事も引退していましたし何もすることがありません。
そうこうしているうちに、なんとはなしに「引っ越そうか」という話が出てきました。本当にふわっと湧いてきました。そう、あの仔たちに「前を向きな!」と言われたようです。
そうなったら「ワンちゃんを飼うかも」と考えて買った庭付きの家は必要のないものに思えました。猫たちの思い出はきちんと思い出として仕舞い、前を向こうと新しい家を探すことにしました。まだまだ別の仔を迎える気にはなれませんでしたが、「もしかしたら」と、とりあえず「ペット可」の物件、それも庭付きではない、つまり「マンション」を探すことにしたんです。
虹の橋に行った仔たちの後押しでしょうか、探しはじめてわずか1ヶ月ほどでそこそこの物件が見つかります。
そして、その年の暮れ引っ越すことになりました。2022年12月です。ほぼ1年前の出来事でした。・・・
えっと8年が過ぎました
白内障の手術をしてから8年が過ぎました。
前回記事を書いたのが手術をしてから5年目だったのでそれからさらに3年が過ぎ去ってしまったわけです。
まぁいろいろありました。
初めてここに記事をアップした時は埼玉県の戸田というところに住んでいました。そして、3年前に記事を書いたときは神奈川県の大磯という町に移り住んでいました。
そして、今はなんと横浜市に住んでいます。
もともと、埼玉の家はマンションで犬、猫の類の飼育は禁止でした。そこでなんだかんだ10年くらい黙って2匹の猫を飼っていたのですがまあ、あまり気分の良いものではありませんでした。仕事も引退したことだし、大手を振ってペットを飼える場所に引っ越したいという思いから当時手持ちの範囲で購入できる適当な家が大磯だったわけなのです。
結構広い庭もあり、もしかしたら将来犬も飼えるかもしれないという思いで転居しました。
当初2匹の猫たちと楽しく暮らしていましたが転居した時はすでに15歳、転居から2年も経てば17歳です。人間に当てはめれば80歳を超えるかという高齢です。
しかし弱った様子も見せずまだまだ元気かなと思っていた矢先、のび太というオスのペルシャミックスの仔が体調を崩します。2022年5月の初めです。急遽病院で診てもらいますが腎臓病末期ということで先は永くないと告げられます。そして、のび太を見送ったのが2022年5月23日でした。異変に気づいてからアッというまでした。
残されたしずかという猫も動かなくなったのび太を不思議そうに見送り、相棒を失いどこか寂しげに過ごしていましたが、しずかも突然体調を崩しのび太が虹の橋に行ってわずか3週間後に後を追ってしまいます。
立て続けに2匹を失い、失意のどん底です。17年間も一緒に暮らしてきた家族のような存在がいなくなり火が消えたような日々が始まりました。・・・続く
なんと5年目
なんと目の手術をしてから丸4年が過ぎました。1460日が過ぎました。
色んな事がありました。なんと言っても父の他界ですが人の死は必ず訪れるものですし順番から言っても仕方ないことだと思っています。
まあ、これはこれで受け入れるしかないことだと思っています。
それ以外にも色々ありました。
なんと言っても転居。これまで住んでいたS県からK県へ。しかも持ち家マンションから一軒家へ。とんでもない変化です。
今年の初めには微塵も考えていませんでしたが、なんと二月に思い立ち三月にマンションの査定、四月に内見、契約。六月にマンション売却と転がるように話が進み、今その新規購入した中古戸建でこのブログを書いています。
そして、新車の購入。
転居してきたときはこれまた新車の購入なぞもちろん考えてなどおりませんでした。なのでわざわざ数千円払って希望ナンバーを取得したりしました。
新車買うならそんなことする必要はなかったのですが・・・・。
人生何が起こるかわからない。と言うよりは自分が何をしでかすかわからない、といったほうがいいかもしれませんね。
そんな自分だからきっと目の手術もしてしまったのでしょう。
家なら、車なら気に入らなければ売ったり買いなおしたりできますが、自分の身体はそうはいきません。
はっきり言って今の自分んの眼は気に入りません。でもやり直しができないんです。
やだな、やだなと思いながら四年が過ぎ五年目に入りました。
家を買ったのも車を買ったのも成り行きです。目の手術もきっと成り行きだったのでしょう。
でも、広い戸建の暮らしまんざらでもありません。以前に比べて駅は遠いし買物不便だし。でも何となく暮らしてます。
新しい車はまだ来ていませんが何気に楽しみでもあります。
自分の眼に満足してなくても車を運転できる視力(この言葉は好きではありませんが)があることに感謝しなくてはいけないのかもしれませんね。
でも、今もしょっちゅう思います。手術しなければよかったな。って
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自分がこのブログを始めてから4年目になりました。
このブログを始めたきっかけは、目を手術したことです。手術をしてからもう丸3年が過ぎたということです。
白内障の手術をして人工眼内レンズを入れた時、どうしてもその状態を自分に受け入れられずただ誰かに自分の辛さを分かってもらいたいという気持ちと、安易に自分の体にメスを入れるようなことはしない方がいいということを伝える目的でこのブログを始めました。
自分の辛さはともかく、このブログを読んで白内障の手術をしようと考えていた人がちょっとでも考える機会になってくれていたらいいなと思っています。
今、自分が書いているカテゴリーはレーシックの方々のカテゴリーで白内障のカテゴリーではありませんが、目に問題を抱えている方々が書いているカテゴリーということでここに自分のことを書かせていただくことにしたわけです。
現在も相変わらず目の調子は良くありません。昼間はなんとなく過ごせるにしても夜の街中を歩くのは不快極まりないのです。月を見るのも好きではなくなってしまいました。
中国が月の裏側に着陸をしたというニュースを聞いても月に思いを馳せる、そんな気にもならないわけです。
しかし時は確実に過ぎていくもので、辛い辛いと思いながらも3年が過ぎました。自分の残りの人生を考えるとこの後そんなに永い時間我慢する必要ないかもしれません。辛いとか辛くないとか分からなくなる時も来るかもしれません。
まあこんなものなのかなという風に自分に言い聞かせて過ごしています。たまに前向きな気持ちになれることもあります。逆に相当落ち込む日もあります。車を運転するとき歯を食いしばっている自分に気づくときもあります。
どうしようもありません。ただ生きるしか無い毎日です。
楽になれる日が早く訪れることを願っています。
音声認識ワープロ
突然の更新
ブログを書く何十ケ月ぶりだろう。というくらい長い間書いていませんでした。
理由の一つは、目がよく見えないからということですが、もう一つは書きたいことがあっても結構タイピングってめんどくさいってことです。
ところが最近「 Google ドキュメント」というやつを見つけました。これは音声認識ソフトです。と言うか音声認識ワードプロセッサです。
今、実はタイピングをしているのではなくコンピューターに向かって喋っているだけなんです。ほぼ普通の速度で喋っていても認識してくれます。
特にたくさん書きたいことがあるような場合、この音声入力ソフトはすごく便利だと思います。
自分がブログを始めた頃、たった3年前ですけれども、その頃はまだこんなに音声入力ソフトの技術は発達していなかったように思います。本当に短い期間にコンピューターのソフトウェア部門 AI 部門と言うかはすごく進歩しているんだなと思いました。
今まさに話している言葉がそのまま文字になっていきます。なんかすごいことだなという思いがします。 今ブログを読んでいる皆さんには伝わらないと思いますが話していることがそのまま文字になっていってるんです。
記事や原稿を書くことを仕事にしている人にとってこの音声入力ソフトの充実というのはタイピングの能力を問わない画期的なソフトだと思います。もうすでに多くの人が導入していると思いますがが本当にすごいことです。
一応、自分はアルファベットのキーであればブラインドタッチすることができますが、それほど速度は速い方ではありません。今ここに書いている文字数を打ち込むのに結構時間はかかると思います。しかしこの音声入力ソフトのおかげでものすごい速さで入力が進んでいきます。速すぎて逆に考えが追いつきません。タイピングで入力をしている時には、次に何を書こうかと思いを巡らしながらタイピングをしていくことができましたが、この音声入力ソフトを使っていると考えが追いつかず間が空いてしまうんです。
本当にすごいですよね。こういう風になったらいいなっていうものがどんどん現実になって来ています。
もしこれを読んで音声入力を試してみたいと思ったら是非試してみてください。 Google Chrome をストールしている必要がありますが導入はいたって簡単です。
是非お試しあれ。
2年以上が過ぎました
白内障手術後もう2年以上が過ぎました。
さいごのブログ更新から1年近くが過ぎた模様です。
年月の過ぎ去ることの速さに我ながら改めて驚愕しています。ブログ更新のことを全く忘れ去っていたわけではありません。ただ何となく時間が過ぎただけです。
その「何となく」の時間が10か月という時間の流れです。「去る者は日日に疎し」を地で行った感じですね。
でも、更新がないことを心配してくれる人がいてうれしく思い更新しました。
前回の更新時も読んでいただいた方の励ましがあったからですね。
日記を書くのとは決定的な違いがありますね。ブログって・・・読んでくれる人がいるってことで。その反面かけないこともあるわけですが。
自分の近況は・・・相変わらず目の調子は 気分 良くないです。
でも日々生きています。
車の運転もします。(夜は 無理)
映画も観ます。吹き替えのほうが楽ですが(去年から15本位は観ています)
最近は 今夜ロマンス劇場で ブレードランナー2049 鎌倉物語 ナミヤ雑貨店の奇跡 ですね。
月に1本は観たいと思っています。
でも映画を観て楽しみながらも「手術をしなけりゃもっとたのしかっただろうなぁ」などと考えてしまいます。
手術前、スターバーストやグローがあっても時間がたてば慣れます。と言われていたけど、いつになったら慣れて気にならなくなるのだろう と思う日々です。
多分一生慣れない気がしています。
気力の衰え、体力の衰えに加えてガクッとQOLの低下を招いた白内障手術。
高齢者にはもしかしたら負担の大きな手術かもしれません。
手術の際にはよく考えたほうがいいと思います。
白内障手術の失敗による被害者の会などはないようなのでおそらくほとんどの人が満足されているのでしょう。また、そうであってほしいと思ってます。
もし、白内障手術で不満を抱えて居る方がいらっしゃいましたらお話でもしませんか?ストレスの発散のお役に立てることがあるかもしれません。
今、唯一の楽しみは映画を観ることなのでまた観たらご報告でもしたいと思います。
只、最近思うことは1回観ただけではその映画の良さ(良くない点も)は分からないということです。2回でも足らないかもしれません。
今後はもっと映画を「観込み」たいと思います。
推薦の映画があればご報告したいと思います。
ナミヤ雑貨店の奇跡 はお勧め かな 今夜ロマンス劇場で も良いと思います。
また更新します。 多分